私の聴いた

ミュージシャン

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いままでの人生で経験したことを書いてみました。

来日したミュージシャンの思い出です。

音楽

は、いいですね !

私は、ジャズ、ポピュラー、クラシック、ラテン、シャンソンなどのミュージシャンはなんでも聴きます。
ジャパニーズ・ポップス、演歌ももちろん大好きです。
学生時代に、ジャズ ではありませんが、ハワイアンバンドでスチールギターを
少しばかりやりましたが、もともと体育会系でした。
そのためにそちらの方は、一回だけ合宿に参加して本職のラグビーに戻って
しまいました。
元来、体育会系の人間関係の方が性に合っているようです。

わき道にそれましたが、このメニューの本題にもどって、いままでコンサートに行ったことの
ある外国のミュージャンの想い出を書いてみたいと思います。

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サッチモやジーンクルーパ、アートブレーキーも実際、確かに聴いた事は聴きました。

しかし、自分の記憶の中でもかすんで、もう当時の印象はよく思い出せません。

ペレス・プラードは、いまはもう無くなってしまった浅草の国際劇場で聞きました。
小柄ですがものすごく精力的な印象があります。マンボと云うリズムを作った人ですが、

彼は、わが国では風俗まで変えてしまい、マンボズボンと云う独特のスタイルが流行りました。


残念ながら私は、体育会系の身体で足が太かったのではくことが出来ませんでした。
そのかわり得意になって慎太郎刈りをしていました。

曲では、「セレソ・ローサ」や「闘牛士のマンボ」がよかったです。
アフリカ原住民の音楽を取り入れた「ヴードゥー組曲」もよかったんですが、
一般受けしませんでした。

トリオ・ロス・パンチョスを聴いたのは、確か新宿の厚生年金会館だったと思います。


何せ、半世紀たっています。以後のプレーヤーについても不確かところがあると思います。

トリオの三人が肩から掛けたサラペと云う極彩色の肩掛けが、ライトに映えて
ものすごく綺麗だったのは覚えてます。

全く無名のアイ・ジョージが前座をつとめていました。
例の日本人離れした顔で、口ひげを生やしていました。
最初、パンチョスが連れてきたメキシコの若手と思いました。

それ程、歌がすばらしかったのです。日本人離れした歌唱力で、
本場にも劣らず、さぞかしパンチョスもびっくりしたと思います。
彼が売り出したのはこのときからです。

当時マスコミには、皇太子妃殿下だった皇后陛下もファンになったと報道されていました。

フランシスコ・カナロは、確か、新宿のコマ劇場だったと思います。

まだ出来たての同劇場が各階に分かれていなくて、客席が全てスロープになっているので
驚いた記憶があります。確か、わが国ではじめて見るつくりでした。
カナロは、前年だったかパリ公演のアルバムの「カナロ・en・パリ」が評判になっていました。

当時のガールフレンドがどうしてもと云うので、一生懸命になってチケットを買った
思い出があります。
彼女のお気に入りの曲目は、「オレガッパ」でした。
彼女とは、ヘップバーン主演の映画、「昼下がりの情事」も一緒しました。
主題歌の「魅惑のワルツ」も懐かしいです。

もう遠い青春のかすみの中の想い出です。

数年前、母と渋谷のオーチャード・ホールで同じタンゴのアルフレッド・ハウゼを聴きました。
やはり年輪を経ると同じタンゴを聴いても、若い時とは、数段感激が違います。

ポール・アンカを聴いたのもペレス・プラドのときと同じ浅草・国際劇場でした。

その後、わが国のロカビリー・ブームのきっかけとなった日劇・ウエスタンカーニバルの
開かれる前年でした。
当時、彼もまだ十六歳で、日本の若い女性をホテルの室内まで入れたとマスコミの顰蹙を
かっていました。
おそらく女性のほうから押しかけたのでしょう。

それにしても、大ヒットの「ダイアナ」を16歳で自作自演したのだから大したものです。


その後、彼が30歳過ぎてからシナトラにプレゼントした「マイ・ウェイ」の片鱗をすでにその頃に
覗かせていました。
30歳すぎたばかりなのに「マイ・ウエイ」で、「人生の黄昏どき」、「私は、なにも恐れない」、
「これが私の歩いてきた道」と云う歌詞を書くのは驚きです。
作った当時彼は、まだ歌詞の半分も人生を生きていません。

この曲をプレゼントされたあのカリスマのフランク・シナトラがお気に入りで、よく歌っていました。

カラオケでこれを原語で歌うのがもっともキザだと云われています。
しかし、訳詩よりやはり英語のニュアンスは違います。

同じごろ来たジョニー・レイはかわいそうでした。

「Just walkin' in the rain 」の一曲しかヒットが無かったせいか、ひどい会場で歌わされていました。

昔の相撲の両国国技館です。蔵前ではなくその前の回向院です。
建物は、終戦後一時、「メモリアルホール」と云う名で米軍に接収されていました。

その後返還されて、当時は、はやりのローラースケート場になっていました。
それでも彼の持ち歌は、当時の毎週のヒット・ベストテンに入っていたのです。
エージェントが何でもかまわず呼んだのでしょうか?
客の入りも、それはひどいモンでした。

サイモン・ガーファンクルは、後楽園球場で聴きました。それも、天然芝のときです。

とにかく驚いたのは、スピーカーが何段にも重ねて二階家くらいの高さがありました。

それが両サイドで、倒れないようにワイヤーで引っ張ってあるのです。
さすがに息をつくブレスの音も聞こえました。
一番よかったのは、やはり「ミセス・ロビンソン」です。

何で青空の野外公演か分りませんでした。
もし、当日が雨天でしたらどうしたのでしょうか?

フリオ・イグレシアスは、どこで聞いたか忘れました。

彼の持ち歌の何曲目かの「ベッサメ・ムーチョ」が大ヒットしたので呼ばれたみたいです。
わたくしは、「黒い瞳のナタリー」や「キェンセラ」などの彼のラテンアルバムの方が
気に入っています。
しかし、世界的な歌手と云うのは違います。何を歌っても一味違います。
その中でどれがいいかと云う問題です。

彼は、サッカーの名手で、足の骨折をしなければプロにもなれました。
どこかカリブ海だったかの島を購入しているはずです。
その後、息子のエンリケもヒットを出し、わが国でも確か野口五郎なども競作しましたが、
ご本家はその後うわさを聞きません。親の七光りだったのでしょうか?

ペリー・コモも良かったです。

声に温かみがあります。人柄が声ににじみ出ています。
ラスベガスなどでいかがわしいカジノなどのあるホテルでは、絶対にショーをやらなかった
そうです。
テレビの競演などで聴くと加山雄三が声の音色が似ています。
コモ自身も分かっていたらしく、来日の際は、よく競演していました。

コモが歌った中では、「薔薇のいれずみ」がいいですね。

加山雄三は、プレスリーの「ブルースゥエード・シューズ」が天下一品です。
カタカナでおぼえた英語ではないので全く違います。
加山雄三は、スローなバラードも、このように早いロックも聴き応えがあります。

シナトラは、確か、ナイトクラブでのディナーショウ形式で公演したと記憶しています。

テーブルチャージも10万円位だったと思います。われわれ庶民には、ちょっとでした。

一流芸能人は、こぞって勉強の為に聴きに云ったみたいです。
本物より、一同に会したそちらの方を見たかったです。

どうしても残念なのは、イブ・モンタン、キング・コール、プレスリーの実物を聴けなかったことです。

モンタンは、実際にチケットを売り出したのです。

実は、私も前述の「タンゴの君」のお願いで、徹夜で並んで手に入れました。
銀座四丁目の鳩居堂に並んだことを思い出します。

彼は、健康上の理由で来なかったのですが、本当のことは分りません。
映画「恐怖の報酬」の時の本人に会えると思ったのに残念でした。
彼のレパートリーでは、「枯れ葉」以外ないでしょう

キング・コールは、健康上の理由で来なかったのだと思います。

実は、私が社会人になる前に来日しているのです。
歌手の「伊東ゆかり」さんが、まだ十歳くらいのとき、お父さんに連れられて新宿の
厚生年金会館で聴いているそうです。

結局、ガンでまだまだと云う時に亡くなってしまいました。
「ネイチャー・ボーイ」、「ルート・66」がいいです。
その後、お嬢さんのナタリー・コールとテープの操作で作った「アンフォーゲッタブル」もいいです。

本人が、亡くなってしまったのに技術が進んでテープの操作でこんな事も出来るんですね。
この曲は、10年位前に山本未来が出演した日本映画の主題歌に使われていましたが、
映画の題名は、とうに忘れています。

BIGワン、エルビス・プレスリーは何としても実物を聴きたかったです。

彼ほどになると、来日のスケジュールを空ける事が出来なかったのでしょうか?
最も、まだ今ほど「円」が強くなかったですから !
バラードもいいですが「サスピシャス・マインド」みたいなものもいいです。

ビートルズも来日しましたが、これは聴きに行きませんでした。
われわれの世代は、何といっても「エルビス !」でした。
来日当時、ビートルズは、まだ青い感じでした。
「聴いていない」ことを未だに後悔していません。

再来日するブラザース・フォー、トニー・ベネット、ローバータ・フラック、
そのほかも多数、聴きに行きましたがちょっとビッグネームとは云えません。

ましてベンチャーズは、論外です。


日本のミュージシャンでまた聴きに行きたいのは、松山千春、矢沢永吉、郷ひろみ、
前出の加山雄三、それに演歌の前川清です。

女性では、何といっても竹内まりやと高橋真理子です。

松山千春、矢沢永吉のステージからは、パワーがもらえます。

加山雄三は、オリジナルの持ち歌もいいですが、彼の歌うアメリカン・ポップスがまたいいんです。
目をつぶって聴くと日本人とは思えない発音です。

竹内まりやは、モダンなフィーリングいいし、高橋真理子の歌唱力は、抜群です。

我田引水になりますが、これらの歌手は、キーが自分と同じなので耳になじみやすいのでしょうか?

松山千春は、「季節の中で」やフジテレビの番組の「みにくいアヒルの子」のテーマ曲だった
「君を忘れない」がいいです。

郷ひろみの「逢いたくてしかたない」、前川清の「恋唄」や1987年の松竹映画「グッバイ・ママ」
の主題歌、竹内まりやの「駅」、高橋真理子の「はがゆい唇」などは、年甲斐も無く
どれもカラオケでの 自分の持ち歌です。


 ♪ 見覚えのあるレインコート  黄昏の駅で胸がふるえた

       まぎれもなく昔、愛してたあの人なのね

   それぞれに待つ人のもとへ戻ってゆくのね、気づきもせずに

      ひとつ隣の車両に乗り、うつむく横顔見ていたら

                  思わず涙 あふれてきそう

    ラッシュの人並みにのまれて、消えてゆく後ろ姿が

    やけに哀しく心に残る、雨もやみかけたこの街に・・・ ♪

              ・・・「駅」 より   竹内まりや  作詩・曲








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