大相撲 |
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☆ 人生に花をそえるページ ☆ 人生、幸せのとき ☆ 人生、楽しかったとき |
| いままでの人生で経験したことを書いてみました。 | |
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大相撲大相撲 に興味を持ったの何時ごろからだろう。 いろいろのスポーツの経験はあるけれど、やはり自分のセンス、感覚に
あった競技と云うものはある。 この点で大相撲は、ぴったりだった。
その道のプロになるなら別だが、ある程度の運動神経を持つものならば、
数ある種目の中でもやはり合う、合わないはあると思う。
この面からも大相撲は、私のセンスに合った。
早い話が水泳が早いから、陸上短距離が早いとは限らないし、バスケットボールの選手が努力でハイジャンプで金メダルを取ったとも聞いていない。
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大相撲の力士が、重量挙げで金メダルを取ったことも無い。 自分は、小学校の時から柔道もやっている。
柔道をやっていると、テコの原理みたいなものがとっさにひらめく
ことがある。 相撲をとっていても無意識に手を返したり、あごを引いたりと無意識に動作が出て勝っている。
やはり格闘技がセンスに合っているのだろう。
中学生の頃、町内相撲で大人とまじり何人抜きもして、
練炭一俵とか、映画の無料入場券を貰ったこともある。 その頃、大相撲に興味を持ち始めたのだと思う。
当時の大相撲は、横綱に羽黒山、照国がいた。
四隅の四本柱が、現在の様な吊り下げ方の天蓋になり、大相撲もこれからと云うときだった。
ちょうど、力道山が大相撲をやめた頃である。
実際、中学から高校に入るときに、当時の単位で、身長があと一寸、
体重であと一貫目多ければ大相撲の門を叩いていた可能性があった。
ホウ歯の高下駄を履いて、早朝から蔵前の仮設国技館へ大相撲を見に行った。
たしか子供の入場料は、三百円だったと思う。
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もちろん座る席などはなく、観覧のエリアも決まっていなくて、ただ、木戸を通るだけの料金でした。
子供なので、空いたマス席などにちゃっかり入り込んで、特等席で取り組みを見ていました。
仮設と云うのは、当時の国技館は足場丸太をワラの荒縄で結わいて桟敷を作っていた。
いわゆる芝居桟敷の大規模なものだ。当時の大相撲なんてそんなものだった。
戦争が終わって未だ十年も経たず、大相撲の関取の数も少なく、
協会も形だけでお金が無かったのだろう。
大相撲が本当に人気、実力で期待にこたえ始めたのは、柏戸、大鵬以来だろう。
その前の栃錦、若乃花の時代も大相撲の人気は、先行していたがメディアなどの条件が整っていなかった。
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近年の大相撲は、力士が皆、大きくなりすぎて逆に迫力が不足だと思う。 国民全体の体位が向上しているから当然だと思うが、やはり稽古で
研ぎ澄まされた、贅肉がまったく無い大相撲力士が ぶつかり合うのは迫力が違う。
若・貴も十代の時と大相撲で横綱になってからではまったく体型が
違った。 横綱になって円熟してくれば、当然、取り口も違ってくるがやはり伸び盛りのシャープな体のぶつかり合いが好きだ。
まだ入幕したてで日の出の勢いの貴乃花に、大相撲場所入りの途中
JR・両国駅で偶然に出会ったことがある。 九月場所で、ゆかたを着ていた。
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やはり大相撲の力士は、薄着が一番似合っている。
寒くて背中を丸めてコートを着ている大相撲の力士など見たくも無い。
瞬間、私は、雷に打たれたように無意識に足が止まった。
あれがオーラに打たれたと云うのだろうか ?
そういう経験を与えてくれた人はいない。
さして彼のファンでもなかったが、そういうことに関係なく人にオーラを与えてくれた。
そういう時期は、同一人物でもある時期だけだろう。
大相撲の親方として現在も、相撲協会で活躍しているが、今遭っても、何も感じないと思う。
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